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広島地方裁判所 昭和46年(ワ)1067号 判決

原告

有限会社広三自動車

右代表者

辻喜一

尾原嘉一

右両名訴訟代理人

神田昭二

被告

井川貞行

右訴訟代理人

人見利夫

主文

被告は原告有限会社広三自動車に対し、金一四三万七九四六円および内金一三一万七九四六円に対する昭和四六年三月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

被告は原告尾原喜一に対し、金一五九万八二二四円および内金一四六万八二二四円に対する昭和四六年三月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決の第一、二項は仮に執行することができる。

事実

一、請求の趣旨

主文同旨

二、請求の趣旨に対する答弁

原告らの請求を棄却する、訴訟費用は原告らの負担とする。

三、請求原因

(一)  原告尾原喜一(以下原告尾原という)は、昭和四二年七月一二日午前八時四〇分ころ普通乗用車(以下原告車という)を運転して広島市舟入南町二丁目四番二五号前路上を南進中、Uターンをしようとして、後方より接近してきた訴外近藤道明運転の貨物自動車(以下近藤車という)に衝突された。

(二)  原告尾原は右事故により後頭部、頸部、右肩胛部挫傷、頸椎むち打損傷の各傷害を受け、その治療のため藤井外科医院および岸外科医院において昭和四二年七月一二日より昭和四四年五月三一日までの同入院六八日、実通院五七七日の治療を要し、かつ後遺症として労災一二級九号の認定を受けた。

(三)  被告は近藤車を保有していた。

(四)  (第一次的主張―和解契約)右事故により原告尾原および原告有限会社広三自動車(以下原告会社という)の蒙つた損害について、被告は訴外谷本正人(訴外ホーム保険株式会社の査定課員)を代理人として原告両名との間に昭和四六年二月一二日次のような和解契約を締結した。

(1)  治療費 一一九万一一一〇円

(2)  通院交通費 二万三〇八〇円

バス往復四〇円×五七七日

(3)  入院雑費 一万四八〇〇円

(4)  休業補償 一〇五万〇七八〇円

一日一六六〇円×六三三日

(休業日数)

(5)  賞与損害 一六万七〇〇〇円

(内訳)

昭和四二年年末 六万三〇〇〇円

昭和四三年夏期 四万一〇〇〇円

同    年末 六万三〇〇〇円

(6)  慰藉料 九〇万九四〇〇円

(7)  以上合計三三五万六一七〇円より自賠責保険金受領額五七万円を控除した

残額二七八万六一七〇円

右二七八万六一七〇円のうち原告会社が原告尾原に対して一三一万七九四六円を代払して同額の損害を蒙つているので、被告は同会社に対して同額を、原告尾原に対して残額一四六万八二二四円をいずれも同年二月末日までに支払うものとする。

(五)  (第二次的主張―不法行為)仮に右和解契約が無効であるとすれば、原告らは右(四)の内容のような損害を蒙つたので、被告は自賠法三条により原告らに対して同額の賠償義務を負う。

(六)  なお弁護士費用として原告会社は一二万円、原告尾原は一三万円を負担した。

(七)  よつて原告会社は一四三万七九四六円、原告尾原は一五九万八二二四円およびこれらのうち弁護士費用を除いた金額に対する昭和四六年三月一日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四、請求原因に対する答弁

(一)  請求原因(一)の事実は認める。

(二)  同(二)の事実は不知。

(三)  同(三)の事実は認める。

(四)  同(四)の事実は認める。

(五)  同(五)の事実は争う。

(六)  同(六)の事実は不知。

五、抗弁

(和解契約に関して)

(一)  本件和解契約は訴外ホーム保険株式会社(以下単にホーム保険という)から和解金全額の任意保険金が支払われるであろうことを前提として、右ホーム保険の損害査定課員たる訴外谷本正人を被告の代理人として締結されたものであり、右前提事実は原被告間において表示されていた。しかるにその後になつて近藤車については保険の対象として保険証券に記載されている車と別個のものであるため保険契約が存在しないことが判明した。従つて本件和解契約は要素の錯誤あるものとして無効である。

(二)  本件和解契約は訴外近藤が事故について一方的過失があることを前提として締結されたものであり、このことは原被告間において表示されていた。しかるにその後になつて本件事故はむしろ原告尾原がUターンするに際して右後方の安全確認義務を怠り、直進車優先の原則に違反したことによるものであることが判明した。従つて本件和解契約は要素の錯誤あるものとして無効である。

(三)  仮に本件和解契約が有効であるとしても、被告は原告尾原に対し、本件和解契約締結以前(昭和四二、三年ころ)にタクシー代や見舞金として合計三七万三四四〇円を支払つており、このことは和解の事情として考慮されていないから、和解契約の金額から控除されるべきものである。

(不法行為に関して)

(四) 本件事故はタクシーである尾原車が反対側の客を拾おうとして後方確認もせず方向指示器も表示しないままいきなりUターンの動作をしたため、同車の右後方を運転していた近藤車が右前方にハンドルを切つて衝突を回避しようとしたものの間に合わず、近藤車の左側ドアのとり手と尾原車の右側ドアのとり手とがひつかかつたものである。従つて原告尾原の一方的過失によるものであつて被告は自賠法三条但書により免責される。

六、抗弁に対する答弁

(一)  抗弁(一)の事実中前段、中段は認めるが後段は争う。被告主張の如き事情は要素の錯誤にあたらない。

(二)  同(二)の事実は争う。本件事故は後述のように近藤車の一方的過失によるものである。

(三)  抗弁(三)は時機に後れた防禦方法であるから却下されるべきである。なお右の事実中原告が被告から計三三万三四四〇円を受領したことは認めるがその余の点は争う。右受領分はすべて本件和解契約において考慮されている。

(四)  抗弁(四)の事実は否認する。本件事故は尾原車がUターンすべく方向指示器による合図をしたうえ徐行して道路の中央に寄ろうとしたところに、近藤車が前方不注意のため尾原車の動静に気ずかぬまま追越しをかけてきたために生じたもので、訴外近藤の一方的過失によるものである。

七、再抗弁

仮に保険契約の不存在が要素の錯誤にあたるとしても、被告が保険証券の記載と近藤車との相異を確めることなく漫然と事故の処理を訴外谷本に委任していたのであるから重大な過失があり、従つて本件和解契約の無効を主張することはできない。

八、再抗弁に対する答弁

再抗弁事実は争う。被告は昭和四一年一一月に当時所有していた車両につきホーム保険の代理店を通じて任意保険契約加入の手続をとつたが、その直後に車両を買い替えてその旨代理店に連絡しておいたため、翌昭和四二年一月になつて保険証券が被告の手元に届いた際にその車両番号等を改めて確かめないままでいたところ、実際には代理店のミスにより買替えがホーム保険に連絡されず、保険証券には買替え前の車両が記載されたままになつていたのである。従つて被告に過失はない。

九、証拠〈略〉

理由

一本件事故の発生(請求原因(一))、被告の近藤車の保有(同(三))の各事実は当事者間に争いがない。

二本件和解契約の締結(同(四))の事実は当事者間に争いがない。

三保険契約の存在についての錯誤の成否(抗弁(一))についてみるに、本件和解契約は近藤車について任意の保険契約が存在しその保険金により全額の支払が受けられることを前提とし、原被告間においてもその旨表示されて締結されたものであるところ、実際には右保険契約は有効に存在していなかつたことは当事者間に争いがない。一般に金銭の支払を内容とする契約において支払能力がないことは要素の錯誤にあたらないが、本件におけるように責任保険契約によりその支払能力が担保されているものとして全額これにより支払を受けることが契約当事者間において前提とされている場合に、右保険契約が不存在もしくは無効であるために保険金の支払が受けられないことは要素の錯誤(表示された動機の錯誤)にあたるものと解される。

しかし本件において右錯誤が生じた経過をみるに、〈証拠〉によれば、被告が当初ホーム保険との間にその代理店を通じて任意保険契約加入申込をした際の所有車をその後に買い替えて代理店に連絡したにもかゝわらずホーム保険においてその旨処理されず当初の車両を契約車両として保険証券の記載がなされたこと、そして被告は右保険証券を受け取つておきながら保険証券の記載と新たな所有車(近藤車)との相異を確めないまま本件事故に至つたこと、他方でホーム保険も本件事故の当初は契約車両の事故であるとの誤認のもとに訴外谷本を被告の代理人として示談交渉を行ない、和解契約締結後に至つて近藤車が契約車両でないことに気が付き保険金支払を拒んだことが各々認められるのであつて、右経過によれば被告が本件和解契約締結にあたり保険証券の記載(すなわち保険契約の存在)を確認しなかつたことは重大な過失というべく、同人が他に責任を問うのはともかくとして、原告らに対し右錯誤による無効を主張することはできない。

四被告の過失についての錯誤の成否(抗弁(二))については、本件全証拠によるも認めるに足りない。

五別途支払金額の控除の主張(抗弁(三))についてみるに、右主張は訴訟提起後三年を経て既に他の争点に関する審理の終了した段階に至つて提出されたものであつて、そのために新たな証拠調を要するものであり、右証拠調の結果によるも被告が右主張を早期に提出し得なかつた事情は何ら窺われないのであるから結局右主張は被告の故意又は重大な過失により時機に後れて提出されたものとして却下されるべきである。(なお右主張の成否について付言するに、被告主張の金額のうち三三万三四四〇円の支払が本件和解契約締結の以前(昭和四二、四三年のころ)になされたことは当事者間に争いがなく、その余の四万円の支払についてはこれを認めるに足る証拠がない。ところで右三三万三四四〇円のうち相当部分はその領収関係書類が和解契約締結以前にホーム保険に送付されていること、その他の部分についても和解契約において認められた費目を別途に被うようなものであることが〈証拠〉により認められ、これによれば右支払についてはすべて本件和解契約において考慮されているものと認められるから、別途にこれから控除されるべきであるとの主張は理由がない。)

六以上のとおり本件和解契約は有効であり、また原告ら主張の弁護士費用についていずれも相当と認められる。従つて被告は原告会社に対し金一四三万七九四六円および弁護士費用を除いた内金一三一万七九四六円に対する弁済期の翌日である昭和四六年三月一日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を、原告尾原に対し金一五九万八二二四円および同様の内金一四六万八二二四円に対する同様の遅延損害金を、各支払う義務がある。

七よつて原告らの請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各々適用して主文のとおり判決する。 (平湯真人)

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